
明治37年、別荘地として発展し始めたばかりの軽井沢で、初代経営者である星野国次が林業を営み、大正3年に星野温泉旅館を開業したのが星野リゾートの始まりです。更なる温泉掘削や水力発電所の設置などを通じて旅館機能は充実したことにより、多くの文化人が訪れるようになりました。大正10年から始まった「芸術自由教育講習会」には、内村鑑三、与謝野晶子、島崎藤村、北原白秋などが集い、当時の文化を牽引する場となったのです。
昭和中期、星野温泉に中西悟堂が滞在し、2代目経営者である星野嘉政に「今までは野鳥を食べていたが、これからは見て楽しむ時代になる」と話し、それは衝撃的な発想であったと伝えられています。さらに星野エリアと隣接する国有林を、世界的にも多種類が生息する野鳥の宝庫であると指摘。その意を受けて中西悟堂ととも生態系の保護活動を働きかけた結果、「国設 軽井沢野鳥の森」として指定されます。探鳥会と呼ばれたガイド付ツアーはこの時期にスタートし、ピッキオのエコツーリズムへとつながります。
旅行需要が減少した戦中戦後、高度経済成長にともなう国内旅行全盛期、そして海外旅行ブームを経て、軽井沢は多くの観光客が訪れる場所に変わって行きます。やがて1987年施行のリゾート法を契機にリゾートや旅館には新規参入が増える時代を迎えました。星野リゾートはこれを機に現在の経営体制に移行、事業内容も運営分野に特化し、企業ビジョンを「リゾート運営の達人」と設定、お客様のご満足を重視しながらも充分な利益を確保できる運営の仕組みづくりに取り組みました。
リゾート運営の仕組みは、バブル経済崩壊後の「リゾート再生」という課題でお役に立つ機会を得ます。軽井沢で培った独自の仕組みを活かし、2001年からリゾートや旅館の再生事業に取り組み始めました。同時に軽井沢では星野温泉旅館の改築計画が進み、2005年7月に「谷の集落、星のや 軽井沢」を開業。世界にも通用する日本のホスピタリティの確立を目指して努力を続けています。
| 1904 | 軽井沢の開発に着手 |
|---|---|
| 1914 | 星野温泉旅館開業 |
| 1921 | 芸術自由教育講習会開催 |
| 1929 | 水力発電所開業 |
| 1951 | 株式会社星野温泉と改組 |
| 1974 | 国設 軽井沢野鳥の森として指定(全国初) |
| 1992 | 野鳥研究室(現在のピッキオ)設立 |
| 1995 | 株式会社星野リゾートに社名変更 ホテルブレストンコート開業 |
| 1999 | エコリゾートへの再開発プラン (ゼロエミッション等)発表 |
| 2001 | リゾナーレ小淵沢の運営開始 |
| 2003 | アルツ磐梯リゾートの運営開始 |
| 2004 | トマムリゾートの運営開始 |
| 2005 | 旅館再生事業着手 星のや 軽井沢 開業 |

左端:星野国次 3人目:星野嘉政

大正時代に希少なT型フォードで送迎

ドイツから輸入した水力自家発電機

星野温泉ホテルエントランス。2003年閉館

地中熱利用でエネルギー自給率75%に
