行ったら、やっぱり、面白かった!NIPPON 再発見紀行

いざ男体山へ
精も根も尽きはてて

戦場ヶ原と小田代原、そして中禅寺湖畔を1日かけて散策した私は、翌24日、日光の神体山である男体山に挑んだ。日光を訪ねるたびに、いつか登ってみたいと密かに願っていた男体山、2486m。朝湯で身を浄め、この日のために買いそろえてきた登山用の服装を身につけ、しっかり朝食をとって宿を後にした。

左)日光二荒山神社中宮祠から神体・男体山を望む。標高差は約1200m、スカイツリー2本分を登るのだ。右)登拝門前で手続きをすると先にご朱印をいただける

9時20分。登山口となっている日光二荒山神社中宮詞で手続きをすませ、鳥居の前で黙礼して山に入った。ササが生い茂る細い道を進み、1合目を過ぎたあたりで早くも疲れが出はじめた。それでもまだ、スタッフたちと冗談を言いあう余力はあった。2合目あたりで親子の猿を見かけたときは歓喜して手を振り、どこからか聞きなれない鳥の声がすれば、そのさえずりの真似をして遊んだ。しかし、3合目からはじまる林道を通って4合目に着き、中禅寺湖を見下ろしながら早い昼食をとって再び登りはじめると、急激に足が重くなった。

時刻は11時半。5合目が近づくと周囲の植生がはっきり変わり、アカマツの木が多くなる。岩も大きくなり、何度も手を使ってよじ登る。6合目にある小屋で休憩してみたが、もう太腿が上がらない。ストックを握る手に力がこもらない。まるでマラソンでも走っているかのように短い呼吸をくり返し、なんとか前へと足を出す。時おり聞こえるオオルリの美声だけが救いだったが、7合目で前方を見上げると、唯一同行してくれていた女性スタッフの姿が消えていた。彼女が私を見捨てて先を急いだわけではない。私の歩みがとにかく遅すぎるのだ。

呼吸はさらに切れぎれになった。後からくる老若男女に次々と道を譲り、登山道に沿って張られた黄色いロープを頼りに8合目まで登ると、そこには鳴龍神社の祠があった。勝道上人の開山後に天台系修験の中心地となった聖地らしく、大きな奇岩の上に修行場があり、そこから太い鎖が垂れていた。私はふらふらのまま頭上に出っぱった奇岩に手を合わせ、どうかもう少しこの身を支えてくださるよう祈った。

しかし、8合目を過ぎてほどなく、登山道に残雪が現れた。周囲の木々は背を屈めるように低くなり、はっきりと気温が下がっていく。夏めいた好天の下で入山したはずなのに……私はうつむいたまま、半歩ずつでもいいからと登山靴を先に運び、固くなったシャーベット状の雪を踏みしめて斜面を登った。そして9合目で、水筒片手に待っていてくれた女性スタッフと合流した。

そこから先は火山灰と細かく砕けた溶岩の礫ばかりがつづいていた。前日、これとよく似た赤茶けた礫が中禅寺湖の畔を埋めつくしていたことを思い出す。私の隣にいた仲田さんはその礫を数個手で拾い、「これは男体山の噴火のなごりなんです。男体山の頂上に近づくと、ずっとこれですよ」と語っていた。

植物はもう何も生えていなかった。気温はさらに下がり、寒風がもろに吹きつける。
「長薗さん、もう少し、もう少し」

リハビリ介護を受けている老人のように女性スタッフに励まされながら、礫に足をとられつつ私は登った。頂上はそこに見えているのに、なかなか近づいてこない。すでに余力はなかった。気力もほぼ限界だったが、14時50分、私はようやく男体山の山頂に立った。

出発して5時間30分たっていた。ストックで体を支えて見わたすと、中禅寺湖がはるか下に見えた。

男体山山頂から見る下界。戦場ヶ原、中禅寺湖、白根山、赤城山全てが眼下にある。中禅寺湖の南岸からは雲が湧いていた

新緑をまとった山々がそのまま湖にもぐりこみ、うねるような境界線を生みだしている。藍色の水面は雲ひとつない空から日光をあびて悠然とただずんでいる。視線を右にずらすと、戦場ヶ原が見えた。男体山の噴火で川が堰きとめられてできた稀少な湿原は、淡い緑色をこちらに放ってキラキラと輝いていた。その先には高い山々が連なり、白雲から突き出た頂にははっきりと雪が見える。

私は赤城山を探した。男体山と戦った赤城山……どの山がそれか判然としないまま山頂を移動すると、太刀が立ててあった。おそらくその先に赤城山があるのだろう。私は手を合わせてから日光二荒山神社の奥宮に参拝し、あらためて下界を見下ろした。

延暦元年(782)に、3度目の挑戦でこの山頂に立った勝道上人も見た風景。険しい山々、その間で悠然とただずむ湖、不思議な輝きを放つ湿原、そして無限を感じさせる空が織りなす絶景に、私は言葉を失った。そこに広がっていたのは、奇跡と讃えたくなるほどバランスに富んだ雄大な美の世界だった。恥などあっさり忘れて無様をさらし、精も根も使いはたしてでも登ってきてよかったと、私は珍しく素直に思った。

下山できたのは日没ギリギリの19時8分。中宮祠が待っていてくれた

参考文献

今回の旅で立ち寄った場所

旅人のお二人

旅のバックナンバー

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