行ったら、やっぱり、面白かった!NIPPON 再発見紀行

これからの出雲大社は
アジアの縁結びの神となる

早朝からの移動と予定外の登山でずいぶん疲れたが、玉造温泉にある「界 玉造」で温泉につかってひと息ついた。弱アルカリ泉質の玉造温泉は古代より多くの人に親しまれ、『出雲国風土記』でも美肌効果の高い「神の湯」と讃えられている。温泉街を流れる玉湯川沿いに女性の姿が目だつのも、そのためだろう。上気した肌と桜はよくにあっていた。

左上)今回の宿泊先「界 玉造」の目の前は玉湯川が流れる。川沿いには満開の桜が。宿泊者限定で人力車での花見をオーダーできる。右上)竹灯りが美しい界 玉造の庭。庭園文化が高い城下町松江の影響も受け、玉造温泉の旅館も庭には趣向を凝らしている。夏はバーになる。左下)館内での雅楽と舞楽の会。なかなか観賞の機会がないのものなので、貴重な体験だった。右下)午後の茶室。三斎流の点前で薄茶をいただく

翌朝、雲ひとつない青空の下、私たちは満を持して出雲大社へ向かった。神の湯を満喫したTさんの顔は色艶よく、表情も明るかった。宍道湖を右手にながめながら進み、北山の山なみが近づいてくると大型の観光バスが増えてきた。到着した出雲大社の駐車場は広大で、参拝客はひっきりなしにやってきた。

二礼、四拍手、一礼。順番を待って拝殿の前に立った私はいつもより2回多く拍手して拝礼し、60年ぶりの遷宮で新たになった本殿の西側へ移動した。社殿は南向きだが、ご神体であるオオクニヌシノオオカミ(大国主大神)が中で西を向いているため、そちらからあらためて拝礼。それから西の十九社をじっくり見学した。

全国的には神無月(かんなづき)と呼ばれる旧暦10月だが、出雲地方では古くから神在月(かみありつき)と呼ばれてきた。日本各地に鎮座する八百万神(やおよろずのかみ)がこの地に参集してそれぞれに託された議案を持ち寄り、目に見えない世界の盟主神であるオオクニヌシノオオカミの下で神議り(かみはかり)を行うためだ。子孫繁栄につながる男女の縁結びもこのときに調整され、神々はここ十九社に宿泊する。

左)神在月に神々が泊まる十九社。女性ばかりと思いきや、男性の参拝者も多かった。右)参拝を済ませた人たちは次々と縁結びや甦りのお守りを求める

本来は本殿の東西に2社ある十九社だが、私たちの参拝時には東側が修復中だった。そのためか、西側の社の前で多くの人が手をあわせていた。私はしばらくそれらの人々を観察し、若い女性たちだけでなく、モデル体型の美男子がひとり熱心に拝む姿に目を奪われた。また、あきらかに70代らしき女性5人組が拝礼していて不思議に思い、私はそのうちの1人に声をかけ、誰の縁結びを願っているのか聞いてみた。
「大学生になった孫の女の子のためです」

金縁の眼鏡をかけた女性がそうこたえると、隣で日傘をさした小さなジャガイモのような女性が、「あたしは45歳でまだ独身の息子のため」と教えてくれた。彼女たちの背後には中国語を話す3人組の若い女性がいて、合掌したまま社を見つめていた。他にも韓国語やよく聞きとれない外国語を話すアジアの女性たちが集ってくる。八百万神の神議りは今や国外からの願いも対象となっているのだろうか、そうだとすれば昨今の神在月はますます多忙を極めているに違いない。
「だめだ……」

Tさんがこちらにやってきた。引いたお神籤の結果がよくなかったらしい。「もう一度引いたら」と久間さんが助言すると、Tさんはすぐに去っていき、新しいお神籤を手にもどってきた。大吉ではなかったが先の結果よりはよかったらしく、Tさんは笑顔になった。そして、十九社の側の樹の枝にそのお神籤をしっかと結びはじめた。


出雲大社を出た私たちは、近くにある島根県立古代出雲歴史博物館を訪ねた。広大な敷地の多くは庭園として活かされ、建物は周囲の景観としっくりくるよう考えられている。

土地柄にふさわしいたたずまいに感心しながら展示室中央ロビーに入ると、宇豆柱(うずばしら)と呼ばれる巨大な杉を3本合わせた柱が眼前にあらわれた。その直径、約3m。平成12年から翌年にかけての調査で境内から発掘され、平安時代に東大寺大仏殿よりも大きい日本一の建造物と讃えられた神殿の実在性を高めている。この巨大柱の発見をきっかけに当時の本殿建築に関する共同研究が実施され、その成果は5体の推定復元模型となり、出雲大社の破格のスケールを実感させてくれる。

左上)国宝級の弥生時代の銅鐸など歴史的価値あるものがたいへん理解しやすく美しく展示されている。右上)通常学芸員同行のツアーはないが、今回は解説付きで案内してもらった。古代出雲の巨大柱の神殿の予想模型は全部で5つ。それぞれの学者の解釈をもとに作られている。左下)神議りの光景の錦絵。カップルの縁組みを神様総出で行う様子が生き生きと描かれている。右下)すべて出土された本物の銅剣358本

他にも、荒神谷遺跡から出土した358本の銅剣、16本の銅矛、6個の銅鐸の展示には息をのんだ。それらの遺物は、およそ2000年前の弥生時代にいかにこの地域が絶大な勢力をもっていたか、さらには『古事記』や『日本書紀』が出雲神話に多くの文字を割いた理由を雄弁に物語っていた。解説してくれた岡宏三学芸員の語りも熱く、出雲の歴史への誇りがひしひしと伝わってきた。

これらの強烈な発掘物から離れた展示コーナーで珍しい2枚の絵図を見つけた私は、Tさんを手招きした。そこには、出雲大社に大集合した八百万神による神議りの光景が色あざやかに描かれていた。縁が結ばれたカップルの名前が一方では帳面に、もう一方では木札に記されているのだが、神々の議論は私の想像とは違って実ににぎやかそうで、それぞれの声さえ聞こえてきそうな喧騒ぶりだった。
Tさんは無言のまま、私の横で絵に見入っていた。

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